GOOD-SLOWLY-BAD. 第七話 塩と灰と


 お茶を流し台に置いた瞬間、届いたその声は突然だったため、誰のものだかわからなかった。
「ナカフジ先生」
 三秒くらいたっぷり考えて、私は振り向いた。
「野口先生!」
「お久しぶりです」
 久しぶりに会うのぐさんは相変わらずこ汚いなりをしていて、相変わらずいつもと同じ笑顔をしている。
 私は懐かしさを感じて少し涙が出そうになった。でも私はその感情をくっと飲み込んで、できるだけ普通の口調で話しかける。
「もう、お仕事は終えられたんですか?」
「いいえ、交代が来たので少しだけ顔を出しに。深夜にはまた行かなくちゃなりません」
 どんなことをしているのか私にはわからないが、さきほどのやりとりを終えた私には、聞く気持ちは湧かなかった。
 聞いてはいけない、怖くて聞く事ができないというよりは、少しこの世界のことを知ることに、不思議なだるさを感じてきからだ。
「そうですか」
 と相槌を打った瞬間だった。
 ドドン、と教員室のドアに体当たりする音が聞こえて、教頭先生を含めた三人でそちらを注視した。
 つづけて弾くようにガラリと戸をあけて入ってきたのは、ササオカ君だった。
 いつか見た剥き身の真剣に、赤いどろりとしたものをまとわりつかせている。
 彼は息をきらせて、左手で脇腹のあたりを押さえていた。そこを中心に惜しげも無く、おびただしい量の赤い血が広がっている。
「ササオカ君!」
 私が駆け寄ると、彼は背中に背負っていたものを降ろした。重い音をたてて落ちたそれは人の形をしていて人ではない、ところどころに、毟られた羽のようなものが生えた赤黒いものだった。
 私は驚いて、びくりと足を止めてしまう。
「大丈夫!?」
「ああ先生、大丈夫です。もう死んでます。それより授業が始まる前に、言っておこうと思いまして」
「はい?」
 心配なのはこれではなくてササオカ君なのだが。
 ともかく彼は赤く充血した目を向けて言った。顔をよく見ると、打撲を受けたのか頬も腫れているようだ。
「予想されていたことではあるのですが、門が閉じていないため、神妖の出現がひどい。僕たちは大丈夫ですが、ナカフジ先生はかなり危ないと思います」
「わたし?」
 いきなり名指しされてしまった。
「この村の人は守る方法を何かしら身につけているんですが、先生は何もない。だから狙われているんです。この神妖も影に潜んで車を追いかけていました。ここ数日で数十匹。心配かけると思って言いませんでしたが、最近は派手すぎます」
 ……。
「そうなの?」
 全く気がつかなかったので、申し訳ないような信じられないような気持ちで返事を返してしまう。
「はい。学校内は比較的安全ですが、気を抜いたら危ないです。必ず、誰かと一緒にいてくるようにしてください」
「ササオカ君、じゃあ私が一緒にいることにします」
 廊下側からそう響いてきたのは、榊原先生の声だった。
 なぜかその声は私には、少し怖く感じた。
 いつもは温かくて優しい口調なのに、いまのはとても固く冷たい声に思えたからだ。
 ササオカ君の肩ごしに顔を見ると、声と同じようにいつもより厳しい表情をしている。
 そのままの表情で、榊原先生は続ける。
「私も町の用事があるので夕方からは無理ですが、帰りまでなら先生に責任をもってついています」
「じゃあ帰りは、僕が送ります。待っててくれますかナカフジ先生」
「う、うん」
 華奢な榊原先生と、どう見ても瀕死に見えるササオカ君に言われ、私は反射的に頷いた。
「じゃあ僕も付き添いましょう。ちょっと部屋に届けたいものもあるから」
 そう言ってくれたのはのぐさんだった。
 ここ最近の忙しさで疲れていると思うのに、わざわざ一緒に帰ってくれるのだろうか。悪いと思いつつ嬉しかったので、少しだけ微笑んでみた。
「先生、じゃあ授業が終わったら職員室に迎えに来ます。くれぐれも気をつけて」
 そう言ってササオカ君は背を向け、廊下を歩いていった。ひきずってるな、と思ってよく見ると右の足首から下が、取れかけてぶらぶらしている。彼のあんまりな様子に、私は叫んだ。
「さ、ササオカくん!」
「心配しないで、平気です」
 私の肩を押さえて、のぐさんが言った。
「平気なんですかアレ!」
「大丈夫、彼はすぐ治ります。たぶん一時間目が始まるくらいまでに。そういう家系で、体質なんです」
 のぐさんが、なんでもないことなのだと諭すように言う。
「家系?」
「神妖を斬る家系です」
 私はあの日本刀を思い出した。
 そして次に、脇腹を染めていた赤い血も。
「だって、そんな……」
 のぐさんは、軽く私をなだめるように、首を軽く横に振った。
 こんなに戸惑うのは、私が村について無知だからなのだろうか。私はのぐさんの言葉にも、納得して落ち着いたりはできなかった。
 だってササオカ君に痛みはないのだろうか。ひどく苦しげに息をしていた。
 それに、彼はまだ高校生なのに。高校生にそんな戦いをさせていていること。
 なにより、それが当然と思っている空気に、私は軽く戦慄した。
 ふらりと無意識に足を動かすと、転がっていた神妖の死体を蹴ってしまった。またうおっと私はのけぞる。
「あ、気をつけて」
「これ、このままにしておいて大丈夫なんですか!」
「大丈夫。放っておけば、塩と灰になります」
「塩と灰!?」
 もう頭がついていかず、ただ呆然と黒い死体を眺めていると、チャイムが鳴った。
 きーんこーん、かーんこーん。
 その音に我に返る。もう朝会が始まる時刻なのだ。席に戻らなくてはならない。
 見回すといつの間にか、他の先生も来ていたようだった。
 私の大動揺をよそに、他の人たちは神妖の屍骸を認知しつつも、全員がいつもと変わらぬ様子で席についている。
 自然な感じでそのまま朝の職員朝会が始まった。死骸があるために閉まり切らない、後方のドアをそのままに。
「おはようございます」
「おはようございます」
 いつも通りにきちんとした教頭先生の号令で、会は始まった。
「さて今日の議題ですが。近頃モップなど掃除用具の消耗が激しいようです。予算も少ないので、もっと丁寧に使うように生徒に指導してください」
 流れるように語る教頭先生。どう考えてもモップより気にすることがあるように思うのだが。
 死骸が気になってときどき目をやると、神妖の死骸はなるほど徐々に白くなり、職員会議が終わる頃にはかなり真っ白で、しかも端のほうは形が崩れかけていた。
 朝会が終わった後、私は出席簿を持ちながらそれに近寄り、近くでしゃがみ、しばし見惚れた。
 さきほどは生々しく赤黒かった屍骸が今は全く変わっていて、それは白っぽい砂の城のような、とにかく不思議なものだった。
 すごいなあこうなるのかー。と変な理科実験の結果に感心するように見ていると、榊原先生に声をかけられた。
「ナカフジ先生、行きましょう? 教室まで送ります」
「は、はい」
 さっきの厳しい顔を思い出し、私はその顔をじっと見つめてしまった。
 すぐに、にこ、と微笑み返してくれた表情は優しかったが、やっぱりいつもとどこか違う気がした。
 とことこと、私は榊原先生の後ろを歩いていく。なんだかすぐに教室についてしまった。
「ナカフジ先生、終わったらまた迎えに来ますね。あとこれ」
 榊原先生は、ポケットからチャラリと音を鳴らして、いつか見た銀色のホイッスルを渡してくれた。
「えっこれ、いいんですか?」
「はい。何かあったら勢いよく吹いてくださいね。私の目の届かない時もあるかもしれませんから」
 よく見るとそのホイッスルはステンレスなく銀製だった。私が受け取って手で包み込むようにするとやわらかくぬくもりを吸い取っていく。
 「じゃ」とまた微笑んで彼女は爽やかに去っていった。
 と思うと、突然振り向いた。
「ナカフジ先生、我慢しなくて、いいんですよ」
「え」
 突然の言葉に、私はドアにかけようとしていた手を途中で宙に浮かせた。
「どうしても辛いなら、先生はこの町を出て行くことができます」
 私は驚いて、動けなくなった。
 その間に榊原先生はそのままくるりと身を翻し、今度は振り向かずに早足で去っていった。
 私はショックを受けた。
 その言葉に、なにか突き放した感じを受けたからだ。この町に来ていろいろあったが、誰からもそんな感じを受けたことはなかったのに。

 なにやら虚ろな気持ちで教室に入った。
 虚ろな気持ちで朝礼をして授業をして、虚ろな気持ちで授業を終えた。
 終えてもぼんやりと教壇に身を寄りかからせている私に、エドちゃんが近づいてきた。
「先生どうしたの? 二時間目始まっちゃうよ?」
「ああ、うん、榊原先生が迎えに来てくれるのを待ってるの。最近校内も危ないからって」
 生徒に話すには不自然な会話だったかもしれないと言ってしまってから気がついた。なにやら日常が麻痺して、どこか感覚がおかしくなってしまった気がする。
 そんなことを考えていたら、エドちゃんは妙に納得したように言った。
「ああ、榊原先生は寄代ですからねえ。なかなか強いそうですし」
 突然の言葉に、私は軽く動きが止まる。
 寄代?
「そうなの?」
「えっ。知らなかったんですか先生。榊原先生は、だから」
 コンコン、とノックの音がした。
 驚いてドアを見ると、開いたままのドアの向こうで、榊原先生が苦笑いをして立っている。自分の噂の立ち聞きに耐えかねて、ノックをしたのだろう。
「あの、お待たせしてすみませんナカフジ先生。さあ行きましょう」
「は、はい!」
 私はあわてて出席簿を掴んだ。
 気まずそうな半笑いのエドちゃんに背を向け、私は足早に教室を出た。

 音楽準備室へ向かう途中の、文科棟へ続く渡り廊下で、榊原先生はふと立ち止まってしまった。
 渡り廊下の窓の外で、木々がゆるやかに揺れている。
「……さきほどは、すみませんでした。びっくりしたでしょう」
「は、はい。ええ?」
 はいと言ってから気がついた。
「寄代のことですか?」
「そうです。もう、つい何もかも言いそびれてしまったみたいで……。そういう時に限って、ほかの人に言われて気まずくなるっていうか、ほんと融通がきかないっていうか」
 自分を責めるような言い方に、私はついあわててしまった。
「いえ、悪いのは私で! あまりにも人に聞かなすぎるというか!」
 それにふっ、と微笑んだ榊原先生の笑みは、いつものような穏やかな笑みだったが、少しだけ寂しい感じだった。
「先生は悪くなんてありません。むしろ、先生には感謝しています」
「感謝?」
「こんな町ですから、この町には他の出身の先生が来ないように教育委員会にそれとなく働きかけています。たまに来てしまう先生もいますが、すぐに異常を察知して、移勤願いを出してしまうものなんです。けれど先生はぜんぜん気にせずに残ってくれた」
 そ、そうだったんだ……。と私はやや呆然とした。
 今までこの町に来た先生のことなど考えたこともなかったが。
 しかしふいに、さっきの教室に入る前のできごとを思い出す。
「でも、先生は私に出て行って欲しいんじゃ」
 冷たい声色を思い出して、私はまた暗い気持ちになる。
 はっきりいって、私はよそ者だ。
 さっきのササオカ君の傷にしたって、迷惑ばかりかけている。いっそいないほうがいいと考えるほうが自然なのではないか。
「いいえ。嫌なことや危険なことが辛いなら、遠慮せず出て行ったほうがいいと思ったんです。そりゃあ私たちは寂しく思うけれど……」
 出て行きたくとも、出て行けない寄代の身体。
 出て行きたいと願ったあの少女の白い顔を思い出した。
「やっぱり先生は出て行けないんですか、あの、寄代だから……」
 彼女は、静かに首を横にふった。肯定とも否定ともとれないような動きだった。
「この町に住んでいる私たちの多くは、たとえ寄代じゃなくてもここを離れられないでしょう。だから、あなたが羨ましい。生まれた場所からここへやってきて、またどこへも行けるであろうあなたが」
 榊原先生は、そう言って、少しうらやましそうに目を軽く細めた。私はむしろ軽いいたたまれなさを感じて、少し目を伏せる。
 羨ましいことでも、褒められることでもなんでもない。
 私は、軽い気持ちで生まれた場所を出た。
 そこには何も抵抗もなく。
 出たことに特別な理由があったわけではない。
 別に、いつでも出て帰ることができるという安心感があったから、気軽に出ただけだ。
 けれど、この場所に生まれていたら、それは当たり前にできることではなかったのだろう。
 榊原先生は、もうもとの優しい表情に戻っていた。私は安心して、彼女に尋ねることにした。
「聞いてもいいですか?」
「もう、何でも聞いてください」
「先生は、半妖ってご存知ですか?」
「はい」
 あっさりと榊原先生は答えた。
「半妖って、何ですか?」
「人が望みを叶えたいとき、神妖と契約をします。神妖は力を与えて人の望みを叶える代わりに、その肉体を支配するのです」
「なんか……、悪魔の契約みたいですね」
「悪魔は魂を貰うとか言いますが、この場合取られるのは肉体ですね。取るといっても、共有みたいなものですが。それより問題は、人と神の両方の力を得ることでまた別の力が生まれることです。それは人も神妖もしのぐ強い異能の力。扉の開閉もそのひとつ。あれは『双方の合意』で開くものですから、通常は祭の期間しか開かない扉を、半妖は開くことができるのです」
「扉って?」
「神妖のいる世界と、こっちの世界をつなぐ扉です。今は開きっぱなしになっていますが、それで大変なのは見ての通りです。村の人が襲われやすくなるのはまだしも、神妖が村の外に出たら大変なことになってしまいます。だから私たちは、半妖にならないように自らを律するよう、教育されます。けして欲望につけこまれないように」
「そうなんですか」
「……ナカフジ先生」
「はい」
「私たちを、嫌いにならないでくださいね」
「へ? どうして」
 むしろ、こっちが嫌われてしまったかと思っていた。
「私が言い出せなかったのは、……寄代だということがわかって、嫌われるのが怖かったからです。村のいろいろなことも。逃げ出されることが怖かったからです」
「そうだったんですか」
 私がそう答えると、先生はゆるやかに微笑んだ。

 それから準備室で、榊原先生はいろんな話をしてくれた。
 小さなときに、おばあさんから神妖をもらいうけたこと。
 外国へ音楽の留学もしたくて悩んだけれど、結局この町に残ったこと。
 従姉妹が神妖の祭りの生贄に選ばれて、とても悲しかったこと。
 半妖は百年くらいは出ていないのでよくわからないが、とても村では怖れられているということ。
「昔々、半妖が現れたとき、力が強くて太刀打ちできず、とうとう門を壊されてしまいました。村には神妖があふれ、人間を食いはじめました。そこに英雄が現れて協力して半妖を倒し、新たに門を作って神妖たちを封じたそうです」
「英雄?」
「そうです。英雄の名は、サー・シェグレアス」
 私はがくりと体制を崩し、ツッコミをいれずにはいられなかった。
「それ、明らかに日本人じゃないじゃないですか!」
「その辺はよくわかりません。半妖はいわば人間の裏切り者ですから、その事件の詳しいことは秘密にされ、今でも一部の人しか知らないんです」
 休み時間やお昼の時間にしてくれた話は、こんな感じでどれもこれも現実離れしていたが、他でもない榊原先生が語る話だったので素直に事実なのだろうなと受け止めることができた。
 仮に、もしこれが赴任したばかりで、しかも話してくれた相手がのぐさんや教頭先生や校長先生だったら、悪いが一割も信じなかったかもしれない。

 授業の間も、私はぼんやりといろいろな話を思い返しながら、小テストの中、苦悩かつ暇そうにしている生徒たちを眺めた。
 彼らは他の町の子供たちと、何も変わりはない。
 だけどきっと一人ひとりには、いろんな事情や苦悩があるんだろうなーとか今更思ってみる。
 思ったってどうにもならないかもしれないが、思わないよりはいいだろう。そう信じたい。
 チャイムが鳴って、テストを回収する。そのまま帰りのホームルームになだれ込んで、今日も一日終了した。
「先生さようならー」
「んー、気をつけて帰りなさいねー」
「私は大丈夫ですよ。コレがあるもん」
 そう笑って、トミザワさんは鈴のついた白い小太刀をポケットから出して見せた。しゃらん、とかわいい音がする。
「それより先生が心配」
「へ?」
「そうだよー、先生、気をつけてくださいね。一人で歩いたりしたら絶対ダメですからね」
「俺たちも一緒に帰ろうか?」
 生徒たちの思わぬ申し出に驚いて、私はハハハ、と変な笑いをしてから、「ありがとう、ササオカ君と野口先生が送ってくれるから」というと、なんだ、じゃあ大丈夫か、と皆安心して帰っていった。
 その様子を見て思う。
 私がいろいろこの町のことを知ったことを、もう皆が知っているんだなあと。
 今までは自ら私に武器を見せたり、神妖にかかわることを話したりすることはなかった。
 たぶん今まで、みんな私に秘密にするように気を使っていたんだなあ。
 知らないということは、やっぱりけっこう人に迷惑なことなのだと、私は今更ながら気がついてしまったのだった。

 教室までササオカ君と野口先生が迎えに来てくれて、トコトコと歩く帰り道。
 何丁か離れた場所に車が置いてあるらしく、そこまで歩きで行くらしい。
 ちなみにこの送り業務によって、エドちゃんはササオカ君と帰れなかったらしい。悪いことをした。
「エドちゃん、一人で帰ったんでしょう? 大丈夫かな」
「江戸村さんは大丈夫ですよ。寄代だから」
 自分の彼女にも敬語を使うらしいササオカ君は、そう言っててくてく歩く。もう朝の傷は跡形もない。でも服は破れたらしく剣道の稽古着を着てスニーカーで歩いていた。
「寄代だからって? あ、あの神様が戦ってくれるからとか」
「それもありますが、人の身で二人の神妖を宿らせることはできない。だから神妖は誰も彼女を狙いません」
 そういえば、狙われるのはフリーの女子ってことだった。
「そうだでも、神妖は人を食べるって」
「それももう伝説に近いですし、本当かどうかわかりません。もしそうだとしても門が壊れるとか、よっぽどの状況がない限り大丈夫でしょう。昔より門の守りも堅いです」
 ふーんそんな感じなのか。
「ああそうだ」
 突然のぐさんが、懐から何か半紙に包まれたものを出した。
「ササオカ君、この札を中藤先生の部屋に貼っておいてくれるかな。考えてみたら君が貼ればいい話だと思って」
「あれ、部屋まで送らないんですか?」
「うん、途中から直接扉のほうに行くよ」
「ちょっとぐらいいいじゃないですか。だって二人は、つきあってるんでしょう?」
 ササオカ君のなにげな一言に、私がいま吸った空気が鼻を逆流した。
 げっふんごっふんむせながら、私が叫んだ声は、わりかし大きかった。
「なんでまた、そんな!」
 ササオカ君はむしろきょとんとした顔で言う。
「わかりますよ。神妖を追っていたら、しょっちゅう二人で出歩いてたから」
 顔が一気に赤くなった。
 ええい君はムッツリ系ストーカーか! とか一瞬叫びたくなったが黙った。今は何を言っても絶対変なことを口走りそうな気がしたからだ。
 のぐさんの方を見ると、やや困ったような顔をして、それから少し顔を赤くしながら言った。
「あー、……じゃー少し寄ってく」
 生徒の前で恥じらうなー!
 ササオカ君もそんなアホ教師二人をからかうわけでもなく、落ち着きながら「それがいいでしょう」という風に大きく頷いていた。大人だ……。
 空気を変えるために、私は口調を変えて話を変える。
「えー、野口先生は今日はこの後も、ずっとお仕事なんですか?」
「ええ、しばらく落ち着くまでは扉の警護ですね。これ以上神妖が出てこないように牽制なんです」
「ああ、扉って、神妖が住む場所と繋がっているって聞きましたが」
 私の言葉に、のぐさんは感心したように微笑んだ。
「勉強しましたね。異空間とも言われていますが、詳しいことは一部の人しか知らないそうです」
 祭りのことを思い出した。
 電灯の下の、白い顔。白い花びら。沈黙の夜。
「(我は見届けに来ただけだ)」
 今日も私の頭上には、赤いものが乗っている。
 百鬼夜行は、静かに遠のいていった。
 どこへ行くのかな。
「(山へ)」
 確か、あかいものは確か、そう言っていた。
「山じゃないんですか? 神様が、そう言ってましたが」
 はた、という顔をして。
 二人の表情は突然変わった。
「先生、なんですって?」
 私は困惑した。マズイ雰囲気だ。なんだか言っちゃまずいことだったんだろうか。
「先生、もう一度言ってください」
「山」
「そうじゃなくて、その後」
「あの、お祭りの日、この頭の上の神様がそう、言ってました」
 神様に指を指しながら、私はためらいながら言った。
 彼らは息を止めた後。
 妙なため息をついた。
 そしてササオカ君が顔を上げて切り出した。なんだか、ひどく残念そうな顔をしていた。
「先生、あのですね」
「はい」
「……神妖と話せるのは、半妖だけです」
 ……。
 えー。
 ワンモアプリーズ。
「はい?」
 数秒ののちに、私は悟った。
 二人が私を見る目が、さきほどとは明らかに変わっている。不安に、心臓がどんどん鳴り出してきた。
「先生」
「は、ふぁい」
 口からは空気の抜けた返事が漏れる。
「僕と、……一緒に来てください」
 ササオカ君の声色は、真剣だった。
 私は野口先生に助けを求める視線を送ったが、彼は蒼白な顔を見せて、しかもいつのまにやら取り出した携帯電話で、どこかと話をしようとしている。
 ヤバ。
 ちょっ、なんだかこれは明らかにヤバい状況になりかけている。
「ちょっ、まっ、そのっ、これっ、そう、そうだ気のせいですよ! これの、幻聴とか、気のせい……」
 上に乗っている赤いものをぐいぐい指差しながら、私はえらい落ち着きの無い弁明をしたが、そんなことが聞き入れられるムードではない。
 ちなみに赤いものは、うんともすんとも動かない。
 再びのぐさんに助けを求めて視線を送るが、彼は顔を白くしたままだ。電話はなかなかつながらないのか、長い呼び出し音が響き渡る。私はかなり絶望的な気分で呼びかけた。
「のぐさん、あの……」
「……あの、ナカフジ先生が半妖だとは信じてませんが、万一ということもありますし、聞いてしまった以上放置もできません。すみません」
 のぐさんは比較的すぐ「すみません」と言ってしまう人なのだが、このすみませんは単純な謝罪ではなかった。
 明らかに、救いを求めた私への、拒絶だ。
「どう、どうな、どうするつもり……、なんですか」
 それに答えたのはササオカ君だった。彼は日本刀を握った手を離さぬまま、言った。
「すみませんが、しばらく、監禁されることになると思います」
 監禁て!
 慣れない犯罪系名詞に、目の前がくらりと安定を失った。
 年の功か、それでもなんとか踏みとどまって息を吐き、頭の上のあかいものに目を向けたが、やっぱり彼は(彼女かもだが)微動だにせず、不快さも動揺も見せず、ただいつものようにのっかっているだけだった。
 やがて全く見知らぬセダン車がその場に着き、それは全く見知らぬ人が運転していて、私はのぐさんとササオカ君に両側を支えられて、よたよたと後部座席に連れ込まれる。
 私は、生まれて初めて連行というものをされてしまったのだった。


















Copyright(C) 2001-2008 姫橘文庫. All rights reserved.  










広告 無料レンタルサーバー ブログ blog